丸山谷戸について

谷戸田の年譜

1979年
一般廃棄物最終処分場計画による藤沢市土地開発公社の用地買収の開始~2005年計画中止。
この間休耕田が広がりゴミ捨て場化し、自生していたホタルが絶滅寸前となる。
2005年以前
藤沢市みどり課「里山ボランティアリーダーの講座」の卒業生が実習地を探していたところ、以前よりホタルの保全問題で関係のあった丸山谷戸が適地と判断。実習地利用許諾について地権者の皆さんとの話合いの中で、谷戸内の休耕田の荒れ地化が、ホタル減少の原因と判明してきた。
2005年
谷戸の荒れ地800m²復元始動。当初メンバー6名でスタート、翌年3月までに38名となった。
2006年
5月:復元完了、6月:近隣農家から無償でもらった苗(もち米、黒米)を作付け。
10月:もち米、黒米、赤米(黒米に混入)を刈取り、脱穀・籾摺り(もち米は精米)。
11月:収穫祭。メンバー28名が餅つきと赤飯を炊いて、支援農家10名と祝う。
以降、黒米、うるち米、赤米等の作付けを試行錯誤したが、やがて黒米作付けに収斂した。また、里山としての環境が整いはじめて、絶滅の危機にあったホタル数も戻ってきた。
2009年
5月:地権者等による「石川丸山谷戸ホタル保存会」が発足。
10月:神奈川県よりホタル保存会が「活動認定団体」として選定。
この年藤沢市によるホタル道並びに鑑賞台が整備される。
2015年
9月:藤沢市による「石川丸山緑地保全計画」スタート。
12月:環境省ニュースリリース「重要里地里山500」14-15に選定される。

※詳細はこちらから
(出典:環境省ホームページ)
https://www.env.go.jp/nature/satoyama/14_kanagawa/no14-15.html

2017年
本田(注)棚田5段合計面積900m²の管理を地権者から任される。
内1~3段600m²はうるち米、4〜5段300m²は黒米を作付ける。

(注)本田とは、新たに任された田んぼの呼称

発足当時のストーリー

援農クラブの発足当時を、かすかな記憶をよみがえらせて振り返ってみました。確か2004年の秋に、FGS(藤沢グリーンスタッフの会)や六会市民センターなどに集まって活動していた仲間に藤沢三大谷戸(川名清水・石川丸山・遠藤笹窪)のなかで「石川丸山谷戸」の不穏な情報が入りました。
FGS「川名清水」の活動で「谷戸」ということは知っていましたが「近くダゼ!行こう、行こう!」ということでゾロリぞろりと集合。
そこで見たのは住宅地(天神町)の目と鼻の先の谷の地が休耕田となっていたこともあり、まさにゴミ捨て場。全員声を失いました。
発足当時のストーリー
加えてこの谷は当時処理場不足の藤沢市がゴミ捨場にして埋め立て、善行に続く住宅地にするという案がしかるべきところで浮上。そこでオジサンたち地権者もみなさんと話し合い、「私たちが休耕田を復活させる」ことにしたのです。
発足当時のストーリー

ゴミの処分、小川の整備、破壊された竹柵や畔の修復、休耕田の真ん中で大きく育ってしまったトゲのあるバラの大木処理。
1年かけて休耕田を生き返らせ「復元田」に。林の中には「谷戸の小屋」まで作ってしまって。アジサイの園も充実しました。
何もかも素人集団の私たちが地権者の皆さんにお世話になりながら、復元田の苗を育てていただきました。そして初の田植え。それから仲間も増えてこの春「16回目」の田植えが無事に終わりました。

MYEC11番 下條氏(元記者)

谷戸とは

ヤトとは、葦原や水田などの湿地が開析谷に入り込んでいる谷合地形を示す言葉です。同義語として「ヤ」、「ヤツ」「ヤチ」があります。今では地名としてのみ残っているところが殆どですが、その使用分布に地理的特徴があります。
例えば都内では、四谷・渋谷などのようにヤです。地域によっては、より普遍的な谷や野原の湿地、あるいは淀んだ淵を指すようです。その中でヤトは、神奈川県東部で使われる言葉で「谷戸」「谷」の字が当てられます。神奈川でも西部(小田原以西)や鎌倉及び金沢地区ではヤツとなります。本来ヤツは千葉県の方言ですが、何故、鎌倉中心部や横浜市金沢区にのみヤツという方言が使われているのか不思議です。

谷戸とは

鎌倉の在ではヤトを使うのに対して、中心部では例えば扇ガ谷のように谷の読みはヤツになります。
想像するに、鎌倉政権樹立と関係があるのであろうと思います。頼朝に鎌倉を勧めたのは千葉氏であったという。千葉氏は今の千葉県を本拠とする豪族でした。ちょうど東京湾の出口に当たり千葉と近いところが金沢。金沢と鎌倉は千葉氏の勢力圏であったので、頼朝に千葉ではなくより離れた鎌倉を勧めたのであろうと考えます。
金沢は鎌倉時代から江戸末期までずっと関東地方の外港として栄えてきました。本来はヤト地域であった鎌倉・金沢に要衝支配のため千葉から有力者の一族が移住してきて、その人流のせいで千葉の方言が使われたと思われます。

谷戸とは

一方ヤチは北海道を含む東北地方の方言で、柳田國男などはアイヌ語起源を説えていますが、逆に大和ことばの北海道伝播説もあり定かではありません。
ただ、ヤトが文字として初出となったのは常陸の国風土記で、夜刀の字があてられています。その要旨は次のようなものです。
「芦原の湿地を切り開いて田んぼにしようとしたところ、大量の頭に角がある蛇(マムシ)が居て開拓の障害となっていた。その村の支配者がこれを背後の山まで駆除して境に印を立て、上を神域と定め蛇を神様として祀った。蛇の瞋りを鎮めるため、自分と子孫は斎人となることを誓った。この蛇神を『夜刀ノ神』という」。
常陸の国は今の茨城県で、方言はヤチであるので夜刀をヤチと読み下すこともあります。

この説話は、別の視点から見ると、稲作の我が国でのはじまりの一つの形ではないでしょうか。
貧弱な農具では、大規模な 灌漑 かんがい を必要とする平野部では困難です。日照りでも枯れない一定の水量を保つ湧水と葦で覆われた柔らかい谷底低地、風除けや適度な日照を保証する谷合。この地形は初期小規模な稲作の場に打ってつけであったに違いありません。これが谷戸です。

谷戸とはハラ(台地の上)の人の目線でなく、谷を見上げるヤトの人の言葉です。ハラから谷を見下ろすと、そこの窪地を埋め立てて土地を広げたくなります。一方、ヤトの人は天災から守ってくれる谷戸樹林や途切れない清水に神性を見出したに違いありません。谷は埋めるところではなく、守ってもらえるところ、誰もが感じる原風景である由縁となっているのです。

藤沢の三大谷戸

藤沢の三大谷戸

藤沢市には三大谷戸という貴重な自然があります。
横浜市との境を流れる境川、藤沢の中央を流れる引地川、市の西、北部を流れ相模川に合流する小出川。この藤沢の三つの川にそれぞれヤトがあるのです。境川に 川名清水谷戸 かわなしみずやと 、 引地川は 石川丸山谷戸 いしかわまるやまやと 、 小出川には 遠藤笹窪谷 えんどうささくぼやと

これら河川の流域にはかつて、無数の谷戸があったそうです。引地川だけでも名前がある谷戸が50を超える程あったといわれています。しかしその殆どが開発の波に洗われ姿を消してしまいました。
藤沢市はかろうじて開発を免れた三つの谷戸を「緑の保全拠点」と位置づけ、優先的に保全を図る緑の基本計画を策定しました。現在、石川丸山谷戸は、石川丸山緑地として保全の対象になっています。

三大谷戸の中で石川丸山谷戸が、環境省の全国500箇所の「重要な里地里山」に選定されています。動植物の多様性だけでなく、人の営みと自然が調和して保たれているためです。

代表挨拶

丸山谷戸援農クラブは立ち上げてから早16年経った市民活動団体です。(NPO法人でもない自由な任意市民団体)はじめは「田んぼで稲づくりやらないか」の声を基に、有志により石川丸山谷戸で25〜30年間休耕していた谷戸田の復元に地権者の許可・指導を得て稲作作業を始めました。
辛い慣れない土木作業に汗を掻き、翌年田植えを終えたときに田んぼの風景と相まってホタルの飛翔を見て、まさに里山がよみがえったと大変感動したことを覚えています。人手不足を補うため甘い言葉に誘われ有志が集い、市民活動団体を結成、農家を応援することの意味合いで「丸山谷戸援農クラブ」としました。

この度、里山の豊かな自然環境を守り、次世代に継続するためにと私たちの活動の悲喜こもごもの活動ぶりや豊かな里山の自然を広く市民の皆様にご紹介していきたいとの願いを込めて、ホームページを立ち上げました。私たちの活動場所はすべての地権者個人の土地であり、地権者のみなさんとの協力関係が重要な活動基盤になっていることが特徴になっています。

樋口弘之プロフィール写真

現在の主な活動内容です。
詳細はこちらから

❶谷戸田や近辺樹林地(一部は藤沢市所有)でのホタル保存活動は、地権者による「石川丸山ホタル保存会」が発足し、本格的にホタル保存活動や谷戸田の維持管理が始まりました。 私たちのクラブも会員として活動をしています。 神奈川県「里地里山の保全・再生及び活用の促進に関する条例」により「里地里山保全等地域」に選定、そして神奈川県里地里山条例に基づき「石川丸山ホタル保存会」が活動認定団体に選定されました。その後、この谷戸は藤沢市において三大谷戸の一つとして保全対象に位置づけられました。

❷耕作が大きな負荷になってきた畑の活用のために、地権者のご指導の下に野菜作りならびに畑周辺の整備を行ってきました。素人による多少デタラメな野菜作りではありましたが、古くなった頭を叩き、知識を拾い、今では立派な野菜を作っています。

❸地権者の所有地内の生垣・樹木の剪定、枯れ木の伐採処理、竹林整備、草刈り、その他地権者の方々がなかなか手に負えない、しかし私たちのような年寄りでも大勢でやればできることなど、協力を応援しています。

石川丸山谷戸里山保全地域として藤沢市にて保全計画が策定されたことを受け、今後、私たちは現状の豊かな自然環境を保全しながら市民の憩える場所として地権者の皆さん共々活動を継続してまいります。当ホームページでは活動の状況を記録していきますので、私たちの活動に賛同され一緒に活動してみたいと思われる方々の参加をお待ちしています。

樋口弘之プロフィール写真

2022年11月
代表 樋口弘之

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